和歌山城は、和歌山県和歌山市一番丁に位置する日本を代表する名城のひとつです。虎伏山(とらふすやま)と呼ばれる標高48.9メートルの小高い山に築かれた平山城で、江戸時代には徳川御三家のひとつである紀州徳川家の居城として栄えました。現在は国の史跡に指定されており、和歌山市の象徴として多くの観光客に親しまれています。
和歌山城は、豊臣秀吉の命によって築かれ、その後浅野氏、そして紀州徳川家へと受け継がれていきました。戦国時代から江戸時代、そして現代へと続く壮大な歴史を持ち、和歌山の発展とともに歩んできた城です。
現在の城内は「和歌山城公園」として整備されており、復元された天守閣や歴史ある石垣、美しい日本庭園、さらには動物園まで存在する市民憩いの場となっています。春には桜、秋には紅葉が美しく、四季折々の景色も楽しめる人気観光スポットです。
和歌山城の始まりは、1585年(天正13年)の豊臣秀吉による紀州征伐にまでさかのぼります。秀吉は紀州を平定した後、弟の豊臣秀長に紀伊・和泉の二国を与え、この地に新たな城を築くよう命じました。
築城に際しては、築城の名人として知られる藤堂高虎が普請奉行を務め、わずか一年ほどで城が完成したと伝えられています。当時、この地域は「若山」と呼ばれていましたが、築城を機に「和歌山」という地名へ改められました。
当初の和歌山城は、自然石をそのまま積み上げる「野面積み」の石垣が特徴でした。現在でも城内には当時の石垣が残されており、戦国時代の築城技術を間近に感じることができます。
1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いの後、浅野幸長が紀州藩主として入城しました。浅野氏は和歌山城の大規模な改修を進め、城下町の整備も行いました。
この時代には、加工した石を組み合わせる「打込みハギ」の石垣が導入され、より堅牢で美しい城へと発展していきました。また、下見板張りの天守も築かれ、近世城郭としての姿が整えられていきます。
1619年(元和5年)、徳川家康の十男である徳川頼宣が55万5千石で入城し、紀州徳川家が成立しました。これにより和歌山城は、尾張・水戸と並ぶ徳川御三家のひとつとして重要な役割を担うことになります。
頼宣は城の大改修と城下町の拡張を積極的に進めました。その規模は非常に大きく、幕府から謀反を疑われるほどだったといわれています。外堀の拡張計画も存在しましたが、幕府の警戒によって途中で中止されました。その名残として、現在でも「堀止」という地名が残っています。
江戸時代の和歌山城は、政治・経済・文化の中心地として大きく発展しました。紀州藩は豊かな財力を誇り、城内には豪華な御殿や庭園が整備され、華やかな大名文化が花開きました。
1846年(弘化3年)、和歌山城は大きな災難に見舞われます。雷雨による落雷によって、大小天守をはじめ本丸の主要建造物が焼失してしまいました。
当時は武家諸法度によって天守の再建が厳しく制限されていましたが、紀州徳川家は御三家という特別な格式を持っていたため、特別に再建が許可されました。そして1850年(嘉永3年)、現在の姿につながる壮麗な連立式天守が完成しました。
明治維新後、多くの城が解体される中で、和歌山城は天守や櫓群が残されていました。しかし、1945年(昭和20年)の和歌山大空襲によって、国宝に指定されていた天守群を含む多くの建造物が焼失してしまいます。
戦後、市民の熱意と努力によって復興事業が進められ、1958年(昭和33年)に現在の天守群が再建されました。再建にあたっては、江戸時代の図面や古写真が参考にされ、外観が忠実に復元されています。
現在の天守は鉄筋コンクリート造ですが、往時の美しい姿をよみがえらせており、和歌山市のシンボルとして広く愛されています。
和歌山城最大の特徴は、壮麗な連立式天守です。大天守と小天守、さらに櫓が渡櫓によって連結された構造となっており、非常に迫力ある景観を作り出しています。
この構造は姫路城や松山城と並び、「日本三大連立式平山城」のひとつに数えられています。複雑で重厚感のある姿は、多くの観光客を魅了しています。
天守内部は資料館となっており、和歌山城の歴史や紀州徳川家に関する展示を見ることができます。最上階からは和歌山市街や紀の川を一望でき、晴れた日には絶景が広がります。
本丸は虎伏山の山頂付近に位置し、城の中心部として機能していました。しかし、山上にあったため生活には不便であり、多くの藩主は二の丸御殿を居所として使用しました。
二の丸御殿は江戸城本丸御殿を模した豪華な造りで、「表」「中奥」「大奥」に分かれていました。大奥が存在した城は全国でも限られており、和歌山城の格式の高さを物語っています。
二の丸と西の丸を結ぶ御橋廊下は、和歌山城を代表する人気スポットのひとつです。藩主が人目を避けて移動するために造られた屋根付きの橋で、内部を実際に歩くことができます。
木造で復元された廊下は独特の傾斜があり、歴史ロマンを感じられる空間となっています。和歌山城を訪れた際にはぜひ渡ってみたい場所です。
西の丸に広がる紅葉渓庭園は、江戸時代初期に造られた大名庭園です。池泉回遊式庭園として整備されており、美しい池や石組み、滝などが配置されています。
特に秋には紅葉が見事で、庭園全体が鮮やかな赤や黄色に染まります。園内には再建された鳶魚閣や、松下幸之助から寄贈された茶室「紅松庵」もあり、落ち着いた和の雰囲気を楽しめます。
和歌山城では、時代ごとの石垣技術の違いを見ることができます。豊臣時代には自然石をそのまま積み上げた「野面積み」、浅野時代には石を加工した「打込みハギ」、そして徳川時代には精巧な「切込みハギ」が用いられました。
このように異なる時代の石垣が同時に見られる城は珍しく、和歌山城の大きな見どころとなっています。
また、石垣には多くの刻印石が残されており、約170種類もの刻印が確認されています。これは石工たちの目印や担当を示すもので、歴史好きには非常に興味深い存在です。
岡口門は、和歌山城に現存する貴重な江戸時代の城門で、国の重要文化財に指定されています。1621年(元和7年)の徳川頼宣による大改修の際に再建されたもので、重厚な木造建築の美しさが今も残されています。
かつては大手門として利用されていましたが、後に搦手門として使用されるようになりました。歴史の重みを感じられる貴重な遺構です。
追廻門は、武士たちが馬術訓練を行う場所へ通じていた門です。名前の由来は、馬を追い回して訓練したことから来ています。
修復調査によって、かつて朱色に塗られていたことが判明しており、「赤門」としての特徴も持っています。現在でも印象的な姿を見せる人気の撮影スポットです。
和歌山城公園は、四季の自然を楽しめる憩いの場でもあります。春には約600本の桜が咲き誇り、和歌山県内有数の花見スポットとして知られています。
夏には新緑が鮮やかに輝き、秋には紅葉、冬には澄んだ空気の中で美しい天守を眺めることができます。季節ごとに異なる表情を見せる和歌山城は、何度訪れても新たな魅力を感じられます。
園内には無料で楽しめる動物園も併設されています。ペンギンやフラミンゴ、サルなどが飼育されており、子ども連れの観光客にも人気があります。
歴史観光だけでなく、家族でゆっくり過ごせる場所として親しまれているのも和歌山城の大きな魅力です。
和歌山城は多くの時代劇のロケ地としても有名です。『水戸黄門』や『暴れん坊将軍』、『徳川風雲録』など、数々の歴史ドラマの撮影が行われてきました。
特に紀州徳川家ゆかりの城であることから、徳川吉宗に関する作品との関わりが深いことで知られています。
また、童謡『まりと殿様』とも深い縁があります。城内ではこの童謡をアレンジしたチャイムが流れ、天守前広場には歌碑も設置されています。
和歌山城へは、南海本線・紀勢本線「和歌山市駅」から徒歩約10分でアクセスできます。また、JR和歌山駅からは和歌山バスを利用し、「和歌山城前」バス停で下車すると便利です。
周辺には和歌山県立近代美術館や和歌山県立博物館、和歌山城ホールなどの文化施設もあり、あわせて観光を楽しめます。
近年では、高齢者や足の不自由な方への配慮も進められています。電動車いすで天守入口まで案内するサービスも導入されており、多くの人が安心して観光を楽しめる環境が整えられています。
和歌山城は、豊臣・浅野・徳川という三つの時代を経て発展した歴史ある名城です。壮麗な連立式天守、美しい石垣、日本庭園、そして四季折々の自然が調和し、多くの人々を魅了しています。
戦災による焼失という悲劇を乗り越え、市民の努力によって復興された和歌山城は、和歌山市の誇りともいえる存在です。
歴史好きの方はもちろん、写真撮影を楽しみたい方、自然散策をしたい方、家族でゆったり過ごしたい方にもおすすめできる観光スポットです。和歌山を訪れる際には、ぜひ和歌山城を訪れ、その壮大な歴史と美しい景観を体感してみてください。
9:00~17:30 (入場は17:00まで)
12月29日~12月31日
入場料
大人 410円
小人 200円(小・中学生)
62台 有料
JR和歌山駅からバスで10分 公園前下車すぐ
南海和歌山市駅からバスで5分 公園前下車すぐ
南海和歌山市駅から徒歩で10分