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手取城

(てどりじょう)

紀州最大級の山城

和歌山県日高郡日高川町和佐地区に築かれた手取城は、戦国時代の紀伊国を代表する大規模な山城として知られています。現在は城郭の建物こそ残っていませんが、山中には石垣や空堀などの遺構が今も残されており、往時の壮大な姿を想像することができます。

この城は、中世の日高地方を支配した豪族・玉置氏の居城であり、同じく勢力を持っていた湯川氏と並び、地域の歴史を語るうえで欠かせない存在です。山の地形を巧みに利用した戦国時代特有の構造を持ち、和歌山県内でも最大規模の山城といわれています。

手取城とはどのような城だったのか

手取城は標高171メートルの城山に築かれた山城です。戦国時代の山城は、険しい山や尾根を利用して防御力を高める構造が特徴で、頂上や尾根筋に平坦地を造成して「曲輪(くるわ)」を築き、その周囲を空堀や土塁で守るという形式が一般的でした。

手取城もまさにその典型的な山城であり、山全体を要塞化した壮大な構造を持っていました。敵の侵入を防ぐために曲輪が幾重にも配置され、各所には堀切や防御施設が設けられていたとされています。

現在でも山中には石垣や堀跡が残り、戦国時代の緊張感を今に伝えています。山城好きや歴史愛好家からの人気も高く、日高地方を代表する歴史スポットの一つとなっています。

玉置氏によって築かれた巨大山城

手取城を築いたのは、中世紀伊国で勢力を持った豪族・玉置大宣(たまきひろのぶ)と伝えられています。南北朝時代、玉置氏は日高郡東部に鶴ヶ城を築き、大和国から日高川流域にかけて広大な地域を支配していました。

その後、日高川下流に勢力を持っていた山崎城主・川上則秋を滅ぼし、新たな拠点として築かれたのが手取城です。以後、手取城は玉置氏の本拠地として発展し、戦国時代を通じて地域支配の中心となりました。

当時の日高地方では、亀山城を拠点とする湯川氏と、手取城の玉置氏が二大勢力として並び立っていました。両氏は婚姻関係を結びながらも、それぞれ独自の勢力を築き、紀州の戦国史に大きな影響を与えました。

豊臣秀吉の紀州侵攻と手取城の戦い

手取城の歴史の中で特に大きな転機となったのが、天正13年(1585年)の豊臣秀吉による紀州侵攻です。

当時、紀州では根来寺勢力や各地の豪族たちが豊臣政権に対抗していました。亀山城主・湯川直春は、娘婿である手取城主・玉置直和に対し、秀吉に対抗するよう呼びかけます。しかし玉置氏はこれに従わず、結果として両者は対立することとなりました。

玉置勢は秀吉軍に呼応し、湯川氏の領地である小松原へ放火を行います。これをきっかけに、坂の瀬において湯川勢約8,000人と玉置勢約1,600人による激しい戦いが繰り広げられました。

戦いは熾烈を極め、玉置勢は83人もの戦死者を出して手取城へ撤退します。その後、三日三夜に及ぶ攻防戦が続きましたが、秀吉軍の仙石秀久や小西行長が大軍を率いて海上から押し寄せたことで戦況は大きく変化しました。

追い詰められた湯川直春は、わずか二百余名を率いて手取城へ総攻撃を仕掛け、ついに城は焼き払われました。城主・玉置直和は落ち延び、手取城は大きな被害を受けることとなります。

玉置永直と戦国の終焉

戦後、玉置直和は豊臣秀吉の弟・羽柴秀長に仕えることで再び領地を与えられ、手取城主として復帰しました。しかし、かつて1万石あった所領は3,500石へと大きく減らされていました。

直和はこれに不満を抱き、やがて隠居して高野山へ入ります。そして家督は息子の玉置永直(たまきながなお)へ受け継がれました。

永直は戦国武将として各地を転戦しましたが、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで西軍に属したため、戦後に改易されてしまいます。これによって手取城も廃城となり、長く続いた玉置氏の歴史は大きな転換点を迎えました。

さらに慶長20年(1615年)の大坂の陣では豊臣方として大坂城へ入り、最後まで豊臣家への忠義を貫いたと伝えられています。

現在の手取城跡

現在の手取城跡は、自然豊かな山林の中にあり、静かな歴史散策を楽しめる場所となっています。山道を歩きながら遺構を巡ると、戦国時代の武将たちがこの地で繰り広げた激しい戦いに思いを馳せることができます。

特に空堀や石垣跡は見応えがあり、山城ならではの防御構造を間近に感じることができます。曲輪の配置や地形の利用方法などからも、当時の築城技術の高さを知ることができます。

また、山頂付近からは日高川流域を見渡すことができ、戦略的に重要な場所であったことを実感できます。自然と歴史が融合した魅力的なスポットとして、歴史ファンだけでなくハイキングを楽しむ人々にも人気があります。

日高川町の歴史観光スポットとしての魅力

日高川町には、手取城以外にも多くの歴史資源や文化遺産が残されています。熊野古道に関連する史跡や、戦国時代の伝承、豊かな自然景観など、紀州の歴史を感じられる魅力が数多く存在します。

その中でも手取城は、戦国時代の紀州を語るうえで欠かせない重要な存在です。紀伊の山々に築かれた巨大山城は、今なお静かにその歴史を伝え続けています。

歴史好きの方はもちろん、山城巡りや自然散策を楽しみたい方にもおすすめのスポットです。ぜひ日高川町を訪れ、戦国ロマンあふれる手取城跡を歩いてみてください。

Information

名称
手取城
(てどりじょう)

御坊・日高

和歌山県