和歌山県御坊市塩屋町は、その地名が示すとおり、古くから塩づくりで知られてきた地域です。飛鳥時代から奈良時代にかけては、朝廷で使われる塩として「塩屋の塩」が重用されていたと伝えられており、実に1500年以上もの歴史を持つ由緒ある土地です。
古代日本では、塩づくりは限られた氏族だけに許された特別な技術でした。その権限を持っていたのが、仁徳天皇の后であった矢田部郎女(やたべのつらめ)の一族・矢田部氏です。矢田部氏は、若狭国から紀伊国、播磨国にかけて塩づくりを統括していたとされ、その一族が塩屋の地へ移り住み、製塩を行うようになったと伝えられています。
その歴史を裏付ける資料として、藤原京跡から出土した木簡には、塩屋の塩が朝廷へ納められていた記録が残されています。また、弥生時代の製塩土器が出土していることからも、この地域で古くから塩づくりが行われていたことが分かります。
現在、塩屋町では昔ながらの製法を受け継いだ「塩屋の天塩」が作られています。使用されるのは、紀伊水道の豊かな自然が育んだ海水のみです。黒潮の分岐流が流れ込むこの海域は、山々から流れ込む日高川の清らかな水と混ざり合い、ミネラルを豊富に含んだ海水を生み出しています。
塩づくりは非常に手間のかかる作業です。まず海水を汲み上げ、薪だけを使ってじっくりと釜で焚き上げます。化石燃料は使わず、昔ながらの製法を守りながら塩分を濃縮し、最後は天日干しによって仕上げられます。
こうして作られた天然塩は、化学塩にはないまろやかな塩味と深いうま味が特徴です。添加物は一切使われておらず、素材本来の味を引き立ててくれます。特に、おにぎりや焼き魚、浅漬けなど、シンプルな料理でその味わいを実感することができます。
現在、この伝統的な塩づくりを担っているのが、障がい者就労支援施設である菜の花作業所です。地域に根付く歴史文化を未来へつなげようと、利用者と職員が協力しながら、一つひとつ丁寧に塩づくりを続けています。
薪割りから釜炊き、天日干しまで、ほとんどの工程が手作業で行われており、その手間と真心が「塩屋の天塩」のやさしい味わいにつながっています。単なる特産品ではなく、地域の歴史や人々の想いが詰まった逸品といえるでしょう。
塩屋町は、熊野古道紀伊路の重要な地点でもあります。国指定史跡「塩屋王子跡」は、現在の塩屋王子神社にあたり、熊野詣の参拝者が立ち寄った由緒ある場所です。
かつて熊野古道は、王子橋付近から砂州沿いを通り、塩屋の集落へと続いていました。日高川河口に位置したこの地域では、海運と製塩業が発展し、多くの帆船が紀伊水道を行き交っていたといわれています。
江戸時代後期の風景図には、塩を焼く人々や海辺の集落の様子が描かれており、塩屋が海と深く結びついた町であったことがうかがえます。塩屋王子神社の石段を上ると、海岸段丘の上に静かな社殿が建ち、今も古道の歴史を感じることができます。
御坊市では、弥生時代後期にはすでに海岸沿いで製塩が行われていたことが確認されています。さらに、天平宝字5年(761年)の木簡には、日高郡財部郷の人物が「塩三斗」を納めた記録が残されており、塩が重要な産物であったことが分かります。
長い年月を経てもなお受け継がれる塩屋の製塩文化は、御坊市の歴史そのものといえる存在です。美しい海と豊かな自然、そして人々の努力によって育まれてきた「塩屋の塩」は、地域の誇りとして今も大切に守られています。
御坊市を訪れた際には、ぜひ塩屋町を巡り、歴史ある塩づくりの文化や「塩屋の天塩」のやさしい味わいを体験してみてください。古代から続く塩の物語に触れることで、御坊の新たな魅力を感じられることでしょう。